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zoom RSS 路傍の石光秀の謀反を考える(福知山城)

<<   作成日時 : 2010/01/11 20:14   >>

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福知山城を訪れて、本能寺の変について考える。

福知山城の石垣は、安土城とよく似ている。
自然の石をそのまま利用した「野面(のずら)積」で積み上げられ、石仏や五輪搭などの転用石が多く用いられているのも同じ。しかし圧倒的に規模がちがう。

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主殺しの代表格ともいえる明智光秀。
なぜ光秀が信長に牙を剥いたのかは歴史のミステリーとなっているが、知れば知るほど謎が深まるから不思議だ。

本能寺の変のちょうど一年前(天正9.6.2)に明智光秀が定めた家中軍法には「路傍の石ころのようだった私は信長公に召しだされ、今日、莫大な兵を預けられる身分となった」との謝意の記述もある。

石ころから総大将にもなり34万石の大名にもなった光秀だが、それでも天下布武をめざす信長との力の差は歴然。
ああみえて信長の勢力図の拡大は、身の丈にあっており、つけいる隙はなく、たとえ謀反を起こしても謀反を起こした張本人が天下を取れるようなものではないことは光秀ほどの才覚があれば百も承知のはず。
ならば、何故?


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御霊神社の社務所にお邪魔して神主さんにみせてもらった原寸大の家中軍法(写)


光秀にとって最大の味方であったはずの細川藤孝も、本能寺の変で光秀の誘いに靡くことはなかった。
光秀の娘と藤孝の息子は婚姻しており一蓮托生の間に思えるがそれでも動くことはなかった。
通常ならば、環境的にも信長に疑われることなく近づける間柄であり、謀反の計画をあらかじめ相談してもよかったのではないか?
もし相談していたら、密告されることもなくうまく諌めてもらうことも可能だったように思う。

であればやはり、本能寺の変は共倒れ覚悟の玉砕戦法。信長の命だけが狙いではなかったか?
英雄である一方で、恐怖政治の首謀者でもある信長。
光秀は、実質的に信長に実母を殺された丹波八上事件、突然の国替え、法華寺骨折失言にて欄干に頭をうちつけられた事件など数々の奇行、横暴にも甘んじて耐えてきた。(もっとも突然の国替えに関しては、光秀を高く評価しての人事異動だと信じて疑わないが)

乱世の一応の終焉を実現させたところで、信長の役割を終えさせようと、自分が犠牲となり信長転覆を狙ったのではないだろうか?

などと素人がえらそうに分析してみたが、それなら本能寺炎上を見届けたところで自害すればよく、どうやらこの結論は真相からは程遠いもののようである。

路傍の石、明智光秀も積上げられた石垣の転用石の一つに過ぎなかった。
天下統一という舞台の上では、もとより聳え立つ城郭たる織田信長のようにはなれなかった事だけは確かなようである。
しかしながら、石には石の役割があることを身をもって後世に伝えてくれている。



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※ 1581年、城代明智秀満が津田宗久、明智光秀、細川藤孝、忠興親子を振舞うとある







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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
『おてんばちわわ』見に来てね〜
http://nonmama3.a-thera.jp/
のんのんです。
2010/03/23 14:08
のんのんさん
こんにちは、コメントありがとうございます
のんのんさんてもしかして、あのN・Mさん、M・Sさん、S・Iさんの友人ののんのんさんでしょうか?
よっ、よろしくお願いします!
ブログもこれから楽しみに読ませていただきます!
百鬼丸
2010/03/23 14:27

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