百鬼丸がゆく

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zoom RSS 天下布武(金覆輪の鞍を置いた馬と小荷駄馬)

<<   作成日時 : 2009/09/01 19:37   >>

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はやる気持ちをおさえながら安土の山を登った。
1576年(天正4年)。信長が城を築いたとき、ここ安土の地は天下布武を目指す信長にとって最も重要な拠点だったのだ。(完成は3年後)

あっという間に山頂付近までたどり着いた。

正親町(おおぎまち)天皇を迎える行幸施設といわれる本丸御殿跡から天主跡を見上げ、さらには五層七階の天守閣があったであろう空間をみつめながら思いをはせる。
430年前、偉容を誇る天主からすべてを見下ろす眼光鋭いお屋形様(信長)がそこにいたのだ。
ほんらい武者震いするような聖地なのだが、実際は家族連れの観光客がワイワイいいながら散策する姿が目についた



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望楼まわりの足場をはずした天主は、想像していたより、よほど可憐に見えた。
山下から見上げた又右衛門は、何度も目をこすり、それがけっして夢や幻でないことをたしかめた。
軒瓦と上一重の柱には金箔が輝き、八角堂の柱と欄干には赤漆が塗ってある。
青い鰭板には、狩野永徳の描いた龍と鯱が躍っている。
「美しゅうできたものよ。望楼の赤瓦に赤漆がなによりだがや」
直垂の正装で山を登りながら、以俊ができ具合を持参した。
(火天の城 山本兼一著 文春文庫より引用)






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この「天下布武」と書された護木札は、この檜が使われている(上の写真切株)


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1582年(天正10年)6月2日本能寺の変にて信長自刃。同6月15日天主焼失安土落城。

尚、細川幽斎は1580年丹後拝領の礼に安土に出向いている。

幽斎が同い年(午年)の信長に干支を問われ、「上様と同じ午年ですが少々変わった馬です」と返答すると信長はどのように変わっているのかをたずねた。
幽斎は「上様は、金覆輪の鞍を置いた馬ですが、私は小荷駄馬ゆえ背中に荷物が絶えません」
といって周囲を笑わせたという(松永貞徳著「戴恩記」より)

安土城跡のすぐ近くの信長の館では、幻の天守閣を拝むことができる

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