百鬼丸がゆく

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zoom RSS 名のみのこれり(年取島)

<<   作成日時 : 2009/04/30 14:19   >>

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年取島は、大君のトンネルを過ぎるといよいよ右手にこんもり浮かんでみえてくる。

周囲が200メートルというからほんとに小さい島だ。

天正8年(1580)より京の公卿中院通勝(なかのいんみちかつ)は勅勘(天皇から受けるとがめ。勅命による勘当。)を被り、この島の小さな庵にひっそりと暮らしていた。




人間万事塞翁が馬。

蟄居生活とはいえ、時を同じくこの地を治めたのが細川幽斎。

中院通勝(天正14年出家、名は素然。号は也足軒)は、幽斎に弟子入りし歌道を学び、熱心に学究したというからこの地での生活は、人が思うほど暗いものではなかったかもしれない。

慶長4年(1599年)に勅許され帰京。

幽斎の田辺城籠城の折には、通勝が幽斎を助けるために奔走したというから面白い。

さて、幽斎も舟でこの島に行き来していたことを裏付ける句が残る。

「藻塩草 かきあつめたる跡絶えて ただ年取りの 名のみのこれり」

藻塩草(もしおぐさ)とは、アマモのこと。

昔は海藻・海草類を焼いて塩をつくっていたのだそうだ。

藻塩焼き(もしおやき)といい、万葉集にも藻塩焼きはうらさびしい情景をあらわす和歌として詠まれていた。

たとえば幽斎が和歌の手本にしたとされる「正風体」の祖、藤原定家にもこんな句がある

「来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」

「かきあつめたる」は、藻塩焼きは海藻・海草を「かき集めて」潮水を注ぐところから、和歌では「藻塩草」を「書き集める」に掛けて用いる。

またアマモの一種ホンダワラのことを昔は名告藻(なのりそ)と呼んでいたらしく「名のみのこれり」はこれに掛けている節もある。

ふたりは大晦日から夜が更けるのも忘れて歌に興じてしまい、気がつけば年が明けていたという。

こうして、もとはトットリ島という名だった島に掛け、島名を年取島(としとりじま)と改めたとか。

まさに掛け言葉のオンパレード

これは幽斎殿に、いっぽんとられましたなぁ。

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